2010年02月01日

雪です

2月1日が月曜日なのは1999年以来のこと。
1999年、月曜の朝一、私の出社を待ちかねた
変な問い合わせの電話ばかりを受けた。
その電話から24時間が一年くらいに感じるほどの長い長い一日が始まるのだった。
書き留めておきたいことがたくさんあるけれど、また別の機会に。


十年一昔、携帯電話が業務に利用されている今だったら、夜中に携帯は鳴りっ放しだっただろう。

そういう意味では、この頃の日本人は、仕事が終わると家族や友人以外と話をすることはそう多くなかった気がする。
夜は、静かに暮らしているものなのか、常にみんなと便利に繋がっているものなのか、
雪は、屋根にシンシンと積もるのか、庭でコンコンとはしゃぐものなのか、
静かと騒々しいとは同居するものであると、なんとなく思うな。
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2010年01月23日

アンダースロー

小林繁さんの訃報記事を読んでいて腑に落ちないことがあった。
「独特のフォームからのサイドスロー」という部分。

毎日、モノマネしていたけど、めちゃくちゃアンダースローだと思っていた。
山田久志 今でいえば渡辺俊介くらいに下から手が出ていたと思っていた。

そんなはずはないよね、と当時の映像を見返すと、
「え〜っ」完全にサイドスロー。

記憶なんて、こんなものか。
結論から言うと、フォーム自体の重心の低さはアンダースローのそれだけど、
腕の出る位置はサイドスローということですね。

「サイド」というと、プロレスファンだった中学生的には
決め技にはならないのになぜか4種類のスープレックスの仲間入りをする
サイドスープレックスのイメージがあったからだろうか、
あまり格好いいイメージが(汗)。

でも、調べているうちに、明石家さんま『Mrアンダースロー』なんてレコードが
出てきたくらいだから、世の中的にもアンダースローのイメージがあったんだよね。
というか、やはりサイドスローという言葉よりアンダースローの方がなぜか語感がいい。

そうかー小林繁はサイドスローだったのか。
またまたYouTubeに記憶が覆された。
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2010年01月18日

“江川”事件

小林繁さんが急逝。
加藤博一さんも一昨年の1月、あの若さで逝ってしまった。

あの騒動の時のタイガース側の主役がこうも早く舞台を去ってしまうとは…。
江川選手にすると、やるせない。
じっくり振り返って、あの時間にあったことを解決したかったろうに。

生きていると、「時間」だけが結論を下すことのできる許す許されるという関係も多々ある。
結局、誰もがスポーツマンとして男として、純情であることに他ならない悲劇でもあったように思うんだよな。

しかし、あの下手糞な絵図を描いたのは結局、誰なんだろうか?
そのおかげでドラマは紡がれたわけだが。
それもきっと時間が教えてくれるんだろうけど。
とにかく燃えた、アドレナリン出た。

間違いなく、我ら世代の大事件の主役―

小林さん安らかに。
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2010年01月16日

馬場さんの高さのモニュメント

ETC1000円を利用して、いつか行きたいなと思っていた場所があって、
先日の連休にふと、すっ飛んで行ってしまった。

兵庫県、JR山陽「明石」駅前にある明石公園。

ここ明石公園にある明石球場は、言わずもがな…。
巨人軍がキャンプをはっているんだから
歴史のある球場ではあるものの、意外に立派。
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この園内に目指すモニュメントがある。
不思議と案内図に印がなく、
広い公園なので探すのに手間がかかるかなと思っていたら、
なぜか迷うことなくたどり着いた。

阪神淡路大震災モニュメント。
馬場さんの身長と同じ2メートル9センチ、詩が刻まれた石のモニュメントが建っていた。
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あぁ馬場さんの高さだ。

そういえば震災が1月17日で1月19日が大阪府立大会だった。
この時期じゃないか、と後から気付いた。
今年で15年もたつ。
あの震災は人の心も揺り動かした。
全日本プロレスにとっても大変大きな意味をもつ出来事だったと思っている。
このモニュメントも、そのひとつ。
100111_j01.jpg

大きな楠木が冬でもたくさん葉をつけていて、ちょっと周囲は暗くてさびしい。
楠木の葉をかいでみたら樟脳の好い香が漂った。
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2010年01月10日

なつかしい音

というわけで全日本プロレス「ふじさんめっせ」大会。
いい空間を作れる個人的に好きなタイプの会場。


あのマットの音がいいなぁ。
今更ながら、
マットに肉体が叩きつけられる時の
あの音がプロレスの魅力であることに気付いたなり。
他の格闘技やスポーツにはないんだよね、これ。とか考えながら
ゆっくりと眺める。

サイクロンホイップを使う若い選手がいてよかった♪
ジャック・ブリスコのサイクロン・ホイップ、好きだったんだよね。
そうだねープロレス特化した技だねー、音も派手で見栄えもいい。




音作家、プロレスでは入場テーマミュージックの大御所、鈴木修さんに会えたのもうれしかったなぁ。
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2010年01月09日

久しぶりの

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いやーレスラーは変わったけど、スタッフは知っている顔が多いなぁ。
髪の毛が少ないけど。
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2010年01月07日

ロマンが大事

ロマンポルノ復活とな。

大学一年のとき、学園祭に山本晋也監督を招聘して講演会を開いたことを思い出す。


早稲田大学 プロレス研究会『闘魂』は、プロレスLOVEというよりも早稲田と阪神を愛する先輩方で構成されていた。まぁプロレス研究会なんて、そんなもんである。
ことに早稲田愛は強烈で、メンバーはほぼ「青春の門」の信介しゃんで構成されている感じであった。後輩だけで居酒屋で飲んでいるとふらりと一升瓶の差し入れを置いていったりする。居酒屋的にはオイオイ!だがそんな雰囲気だった。

その諸先輩方は、学園祭に当時「すごいですねぇ」でエロス&文化人というジャンルを開拓していた山本晋也監督の講演会を開こうと決意したのである。
まったく意味は不明だが、交渉はまとまり諸先輩方はとにかく嬉しそうであった。
だが先方に条件が一つあった。
近く行われる新作の舞台挨拶を盛り上げてほしいというもの。
われわれの意気込みはすごかった。

何しろ主演女優さんも登場する映画の舞台挨拶。
鉢巻などを買い揃え、準備万端で向かったのであった。

20席くらいしかない天井の低い映画館の最後列から紙テープを飛ばしクラッカーを打ち上げる大学生。
上映が始まるとおとなしくなってロマンポルノを観賞したのである。
巣の中のツバメの仔のようである。

そういう苦労(?)もあり、山本晋也監督講演会は無事成功した。
確かロマンポルノも同時上映したような気がする。
教室も一番大きい部屋を用意してくれて学校側も期待していたのではないだろうか?

盛上隊で出向いた新宿の映画館。
まさにロマンポルノを上映すべくして存在するかのような映画館。
映画のタイトルも女優さんの名前ももう忘れてしまった。予告編の小森みちこしか覚えていない。
でも、それがロマンポルノの正しい見方のような気もする。

昭和57年、この後、すぐに怒涛のようなホームビデオの全家庭普及が始まるのである。

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2010年01月06日

読書の時間が足りない

松尾スズキさんが芥川賞二度目のノミネートとな。

大人計画も計画通りに大人になったなぁ、
芥川賞も年々芸風がポップ寄りになっていくなぁ、
改めてこの思いを強くした次第。
そういうことを言うのは、既に立ち位置も鮮明で実績もある人を
いまさらノミネートする必要があるのか、
じゃ商業主義なのか勉強不足なのか、ってあたりが
いけすかなく頭をよぎるから。
なにはともあれ、本を手に取る機会を作ることにはなるんだろうけども。

漫画までジャンルを拡げてみるか。


毎年一回は寝込んでたんだけど、ここ5年ばかり発熱するほどの風邪ひいてない。
1月は体調崩すこと多くて、風疹なんてかかったりして、おかげでツインピークス全話一気に見ることができたなぁ。本に慣れ親しむきっかけって案外、風邪で学校休む時だよね。

結局出版不況も、皆忙しすぎるんだよね。という気がする。
posted by 三橋祐輔 at 04:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月04日

年末年始

年末、「芝濱」を検索して、堪能。ほろり。
YouTube便利。2,3年前だと、ありえないことだ。

落語とは『人間の業を肯定する』ことだ。
奥深く業を背負っている噺家が落語をやるから胸打たれる。
一つ一つの台詞が、噺家の業、聞いている観客自身の業を照らし出してくる。
芝濱はそんな中でも登場人物が話を前向きに締めくくる。
年末に聞くと、やっぱり、そりゃ、健気で泣けてくる。


大晦日、なんとか掃除が終わり日帰り温泉でDynamiteを見ながらネットを眺めていると、ウイリアムスさんの訃報を知る。
しばし、沈黙。



正月は、恒例の寺社仏閣詣でをした。

二日、今年もR-1にトライするというO氏と飲む。もう予選は始まるのだ。
普通ではないが真っ当な会社員なのにR-1、M-1と立て続けにトライしていてスゴい。
おかげで、予選会見物ができて私も嬉しい。知っている人でも出ていないと、予選会には足運びづらい。
ああだこうだと色々、外野から言う。
今回もきっと、勝ち抜いて行くことだろうw。

ホッピー10杯以上は飲んだ。
酔っ払うと食欲が暴走する。
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阿佐ヶ谷にできたバーガーキングでワッパーを喰う。
さらに西荻窪で吉牛を喰う。
やばい。朝、とても後悔。

三日、靖国神社に、初めて参拝。まさに初詣。
遊就館で市丸少将の「ルーズベルトに与うる書」に涙。
いつだれが読んでも正論じゃないか。
平成22年の日本人も同じ事を言いたいじゃないか。
硫黄島は、まだ続いているんじゃないのか。

たくさんの外国人も見学していた。彼らはどういう思いを持つのだろう。
芸能人のハワイ休暇をテレビで見る。
アメリカの文化は大らかで豊かに見えていた。
でもそれは幻想でもある。幻滅することもある。
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2010年01月01日

スティーブ・ウイリアムス選手

プロレスラーは、リングを降りると、一人の社会人だ。
単純なイメージで申し訳ないけど、外人選手については、
「‘紳士’と‘ガキ’の二面性がある大人」
が私の持っているそれ。

スティーブ・ウイリアムスさんは、特にそうだったように思う。
1990年の頃の世界最強タッグ決定リーグ戦は、必ず開幕前夜に参加全チームの個別会見をホテルで開いていた。
いや、そりゃもう華やかだった。
すべてが輝いていた。
その中で、
優勝したのが、テリー・ゴディとスティーブ・ウイリアムスの参加チームの中では若い力だった。

ピカピカに輝いていた。
ハチャメチャなところもあったんだろうけど、会見をする時などリング以外のことでは、ことさら礼儀正しかった。

アスリートとしてのプライドを感じた。
目が紳士的な人でした。

本当に早い。
ご冥福をお祈りいたします。
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2009年12月23日

長野『利休庵』かき揚げ丼

結構、大食いには自信があったりする。
実家がラーメン店を営んでいたこともあり、食べ盛りの中学生の頃にはチャーハンにカツ丼、スープ代わりにラーメンというメニューを食していた。営業中なのだから、とにかくすぐできるからすぐ食った。

プロレス業界にいたときは、やはり周囲は豪でなるツワモノばかり。たまに若いレスラーから「結構、三橋さんもエビスコ強いっすね」
などと言われたりしたことがあるくらいで、そんなに目立つことはなかった。
エビスコとは大食いという意味らしい。

現在、「あいつ食うなー」というレッテルを貼られている。
そういうわけで、巨盛のメニューがあると聞くと、ついつい足を運んでしまうのである。

雪道の峠を車がお尻フリフリしながら、到着したのは、長野県の姫木平にある『利休庵』さん。
箸の袋には「利薄く少なくを良しとして」とある。
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高々としたかき揚げ丼+蕎麦である。
こだわりの自家製野菜の天ぷらもさることながら、付けあわせで出てきた野菜の多彩な小鉢がうまかったです。
見た目ほどのスーパーヘビーを相手にした疲労感はありませんでした。
posted by 三橋祐輔 at 11:54| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

寝言は寝て言う

自分の寝言って一度でいいから聞いてみたいところですよね、
というわけで、
iPhoneアプリ
睡眠中の寝言を録音するというものを早速試してみる。 iPhoneアプリケーション「Let It Sleep」(http://bm11.kayac.com/letitsleep/
一晩中、何か音がしたら録音機能が作動というものである。
 
夢見て、なんかモノしゃべろうと思いながら寝る。
寝ながら、若干気になる。
 
朝起きて、すぐに再生。
とりあえず、聞こえてきたのは、かわいらしい鼾だけだった。
 
今晩はなんかしゃべりたい。

iPhoneから送信



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2009年12月09日

赤星〜

現役では一番好きな野球選手が引退してしまった。
阪神タイガース 赤星憲広。

本人のブログ

首の怪我に悩むアスリート特有の忸怩たる気持ちがあふれている。
まだ出来る、まだ気持ちは萎えていないのに、医師の「次やったら、一生寝たきり」の言葉にさらされるトップアスリート…。

赤星選手は本当に阪神の野球を変えました。お疲れ様でした。


全日本プロレスで仕事をしていた時も、バリバリのメインイベンターが突然
試合が出来なくなるという局面に何度か出くわした。
目の前が真っ暗になるとは、ああいうときのことだと思う。


プロ野球もプロレスもスポーツエンターテインメントの一ジャンル。
必然的にトップスターの怪我は付き物である因果な商売だ。
これを乗り越えて、次々にスターが産まれてくるか
悪い時に悪いことが重なって行くかで、
その企業なり、団体なりの「器」が計れるだろう。

90年代全日本プロレスは、
ほぼ毎シリーズごとに、広報担当が目の前が真っ暗になることが起きたのに
逆に、「興行」という規模は雪だるま式に大きくなっていった。
コアにあるファンの想いがどんどんどんどん固くなっていった。

そういう意味では、本当にすごかったなぁ。
そういう時代を思い出して、二重にさびしくなった。
posted by 三橋祐輔 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月28日

ブーイングとスタンディングオベーション

ジョージ・マッケンジー阪神入団。
これまた意外な…。

かの選手のイメージは、ひとつ。
「短髪がよく似合う好戦的な顔」。

草食系ヤサ男顔が多数派になった阪神には大変な新風が吹くことだろうね。

でも、会見での
「今まで敵だった(甲子園の)大歓声が味方に変わると思うと心強い」
の言葉はちょっと心配だ。
どんな名選手も名監督も、その大歓声が、一瞬で大バッシングに変わることを避けえなかった。
でも、まぁそこはプロ。なんとかしてもらうとして、
とにかく、今、セには足の速い憎らしい選手がたくさんいるから、
彼らを退治してくれるシーンを楽しみとしよう、っと。

キャッチャーといえば、今年、一番しびれたシーンが個人的にひとつ。
巨人のキムタク。
キャッチャーがいなくなった延長戦でマスクをかぶった試合。
かっちょえかった。

あんなことを顔色変えずにやり遂げたキムタク選手。
心からのスタンディングオーベーション。
posted by 三橋祐輔 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月30日

新世界

先日、『増富ラジウム温泉』(山梨)に行った。日帰り温泉700円。
季節の変わり目になると、20年前に食らったバックドロップで腰が痛むのである。ふわふわ過ぎるマットがいけなかったなぁ、あれは。

比較的有名な温泉なのだけれども、非常に山深い里に在る。

行くたびに、サルの群れやキツネに遭遇。でも、“人里離れた”山間というわけではない。どこまでも、畑や民家、蔵、道祖神がポツリポツリとあるのである。

帰るとき、その山間に時刻を告げるクラシックが流れる。
『遠き山に日は落ちて』=ドヴォルザークの『新世界より』。

この音楽に新世界と名づけたドヴォルザークもすごいが、『遠き山に日は落ちて』の詞をふった日本人もすごいなぁと、山々を見ながら思いました。

ドヴォルザークが大阪の新世界で作曲した…
わけはなく、「新世界」アメリカで故郷を思って作曲したものとされている。

このなんとも表現しづらい心地よい旋律は、
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」にも出てくるように、私には「宇宙」を思わせてやまない。
ドヴォルザークはひょっとして、宇宙の深遠を覗き見た者なのでは…とこの旋律を聴くたびに思う。

そんな名曲がふいに、八ヶ岳や富士を望み野生動物と細々と暮らす山郷で壊れかけのスピーカーから流れ出した時、
今、凝っているiPhoneのごとく、
少しだけ、私が宇宙と『同期』した気分になるのであった。
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2009年08月13日

テレビっ子が想う

違法ドラッグ報道ばかりの昨日今日明日。
話は、ドラッグの違法性なんてモンはどうでもよくて、
幸せな夫婦の崩壊見物と言う、
なんですな、下世話な方向に流れていくのは必然で。

すっかり恋愛論か、っちゅうような内容になってきてますな。
オシオ男や自称サーファーショップ経営者みたいなのに捕まってしまうような女性のタイプはこれだ、とかなんとか。

でもね
大きなお世話だよ、んなこたぁ。
法律を犯したら責めりゃいいけど、
惚れちまうもんをとやかく言ってもねぇ。


畑で今年もカマキリと睨み合った。
カマキリは一歩も譲らず、最終的には飛び掛ってくる。
すげーよ、お前。
何キロ体重差あんだよ。
そりゃ自分の縄張り侵すヤツは腹立つよな。
相手がナンだろうとさ。

えらいよ、カマキリ。
毎夏、カマキリには勇気をもらう。
posted by 三橋祐輔 at 13:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

三沢さん

2000年の6月13日、社外の法律事務所で当時の全日本プロレス役員会が開かれて、社長を辞任した三沢さん。
それ以来、突然にお会いすることはなくなってしまった。
9年後の同じ6月13日。
昨夜は友人と飲んでいた時に、訃報に接した。
朝、気持ちの悪い夢を見たなと、起きたのだけれど。


ご家族のご心痛を思うと…。
ご冥福をお祈りいたします。
posted by 三橋祐輔 at 12:56| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

で、富士は見えるのだろうか?

埼玉県の話です。
一度や二度読むだけじゃ、わかりません。


http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000000906020001

富士見市にも「ふじみ野」誕生へ
2009年06月02日

 富士見市は1日、勝瀬原区画整理事業の完了に伴い、同市勝瀬の事業対象地域約73ヘクタールの町名を変更し、東武東上線ふじみ野駅東側を「ふじみ野東1〜4丁目」、西側を「ふじみ野西1〜4丁目」にする方針を発表した。6月市議会に議案を提出する。
 市によると、区画整理組合が「ふじみ野」の名称を希望した。隣接する富士見、ふじみ野両市では、似通った名称をめぐる論争が過去に起き、ふじみ野市にも「ふじみ野1〜4丁目」があるが、富士見市の星野信吾市長は「組合の意見を尊重したい。ふじみ野市とぎくしゃくすることはないと思う」と話している。
 組合は昨秋、区画整理完了後の町名に関する住民アンケートを実施。名称の希望は、60歳以上では従来の「勝瀬」が266件で、「ふじみ野」は214件だった。しかし、全年齢では「勝瀬」が48・8%、「ふじみ野」が48・5%とほぼ同数。駅や小学校の名称になっている「ふじみ野」が地域に浸透し、分かりやすく、対外的にもアピールできるとして、組合は「ふじみ野」を市に提案したという。
 「ふじみ野」は03年、富士見市、上福岡市、大井町、三芳町合併協議会が、合併後の新市の名称としていったん決定。しかし、合併枠が崩れ、上福岡と大井が05年に合併する際、住民アンケートの結果から、ふじみ野市になった。当時は富士見市が反発した。
 富士見市は来年5〜8月ごろ、正式に町名を変更する予定。市幹部は「紛らわしさがあるのは事実」と認める。ふじみ野市ふじみ野1〜4丁目は富士見市勝瀬の西にある。このため、町名変更後は、ふじみ野1〜4丁目の東に、富士見市ふじみ野西1〜4丁目が位置することになる。



でも、富士山がよく見える場所だとしたら、地名に付けたくなる気持ちはわかるんだよね。
日本人は、不死身って言葉にどこか惹かれるところもあるのな。

posted by 三橋祐輔 at 18:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

岡田彰布『頑固力』


  『頑固力−ブレないリーダー哲学』

  岡田彰布 著
  角川SSC新書 刊


  阪神タイガース、昨年後半から引き続き絶賛失速中。
  このチームだけWBC優勝に関係なく、
  いまだ北京オリンピックを戦い続けているようである。
  まぁそれならそれも有りだ。
  強けりゃ面白いというものでもないから。

真弓監督就任一年目。
一年目は仕方ないと、よく言われる。
試行錯誤、世代交代、実戦でなければ出来ないことが多いだろう。
それはそれでいいのだけれど、試しているからこそ、
一球の重みはより感じさせてほしいなぁ。

岡田彰布前監督の『頑固力』を読んだ。
驚くことに最近の野球選手は、皆、新書版で本を出す。
編集の手抜きとも経費の削減とも取れるこのスタイル。
やっぱり、ちょっと味気ないかな。

内容は、優勝確定サクセスストーリーの前半部分に、歴史的優勝逃しエクスキューズの後半部分というスクランブル編集。
早大時代から見ているファンとしては、いろいろと感慨深いものがあった。
学内では、卒業論文にまつわる都市伝説が流れたことはあったけれど、どうしてどうして読ませてくれる内容だった。


やはり、プロルーキーイヤーのブレイザー監督、ヒルトン選手との三角関係に纏わる頃が、なんといっても
岡田彰布と言う人を形作っている部分として大きいということが、個人的に再確認させられた。
あの時の思い・阪神を取り巻いていた空気が、怨念情念のような“頑固力”という形になって、“JFK”や“打線オーダーへの固執”に現れたのだ、とそう思った。プロスポーツは、それがないと個人的にダメだ。


真弓監督に移譲された、現チームは、怨念の抜けた亡霊のようなものだ、と見えてしまうのは仕方ない。
しかし真弓明信という人が辿った野球人生も決して順調なものではなかっただけに、一球に情念を込める野球を具現化できる日を早く見たい。
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2009年06月02日

さすがダイヤモンドだねー

中学生の頃、映画を観に映画館に行った。川崎の古ぼけた映画館。
上映時間少し過ぎていたので、あわてて場内に入ろうとすると、入口の横の女性に呼び止められる。クジを引けと言う。よくわからないまま焦っていたので、クジを引くと大当たりだと言う。真珠が当たったと言う。さらに、よくわからないまま、指輪かネックレスに加工しますが、どっちがいいか尋ねられ、真珠などと言う高級なものが当たりラッキーだと思いネックレスにした。加工代金5000円を払って、映画を観て帰った。

中学生もボケっとしていると真珠のネックレスを買っちゃうのである。

川崎で映画で真珠
銀座にパリにダイヤ

うむ、この商法も豪華版になると押すな押すなで、当局が乗り出すほどの騒ぎになるのだ。「誠意がねーんだよー」若い女性の叫び声。誠意があるわけは(略)。
posted by 三橋祐輔 at 09:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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