2015年02月16日

マクガイヤーブラザース

ウチ風呂など普及していない昭和の時代、ぼくも毎日銭湯通いの小学生だった
脱衣所にあるポスターが、何か別世界を覗く三面鏡だったように思う

思うにあの手のポスターをしみじみと眺められるのって銭湯の脱衣所くらいしか他にない


網走番外地をはじめとするヤクザ映画とか春休み夏休みの怪獣映画のポスター
そしてプロレスのポスターの記憶が鮮明だ

網走番外地
フーテンの寅さん
東宝チャンピオンまつり
東映まんがまつり
新春黄金シリーズ、、、

川崎には新日本プロレスが新春黄金シリーズでマクガイヤーブラザースを目玉によく来ていた記憶がある
今なら当地のプロモーションの好みなんだね、とか余計なことを思うけど、

この頃はマクガイヤーブラザースが子供にはトップスターだ
ゴッチでもテーズでもなくマクガイヤーブラザースだ
あの半ズボンの内ももの巨大な膨らみはなんだろうと、そればかりが気になった

女子プロレスのポスターも頻繁にあったように思う
ミゼットプロレスってなんだろう
女性のプロレスってナニ?の疑問を通り越して余りある?マークが小人プロレスにはあった

マッハ文朱が登場した時にプロレス音痴の小学生でも、最近の女子プロレスは綺麗になったと思ったもんだった

なんか現代より興行自体が命がけな迫力がある
しみじみ、そんな風に思う

posted by 三橋祐輔 at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

弁天橋と大黒埠頭

ぼくの町は多摩川と鶴見川の河口に挟まれている京浜工業地帯と呼ばれる、臨海地帯にあった
自転車で20分も走れば海につく
海といってもタンカーが接岸する埠頭ばかりで、
砂浜なんて見当たらなかった

小学生のころ、朝4時ころに起きてアキラ君らと、よく釣りに行った

その時間でも釣具店はゴカイを売っている
お店側じゃない自宅の玄関側に回ってゴカイを買った

弁天橋という小さな埠頭
ダンプカーが砂利をおろして、そこにタンカーが接岸する
道路の上には引き込み線のレールがそちらこちらに走っている
工業地帯独特の風景
左右200メートル程度の岸壁のような場所で左右は工場や砂利置き場の立ち入り禁止の金網に囲まれている
釣りをする人なんて我々くらいしかいない
海を切り取った空間のような場所だった
思い出しても陽光のイメージはなく、とってもセピア色


レインボーブリッジができてからは様変わりしてしまったが大黒埠頭もよくいった
大黒埠頭は弁天橋と比べるととても広くて明るくて、釣り人も大勢いた

弁天橋で釣りなら、いつもの日曜日の午前中だったけど、
大黒埠頭に行くのは、ちょっとした遠出だった

そうやって、人間はハレの日を作って日々を消化していく生き物なんだと子ども心に思った
「終わらない日常」という言葉が出てきた時、ぼくはこの二つの埠頭がよく頭をよぎったものだった


それにしてもハゼ一匹釣れないことが多かったなぁ
Googleストビューでみたら、あのあたりも整備が進んでいて無機質な美しい光景が飛び込んできた
あまりにも違うんで泣ける
posted by 三橋祐輔 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月02日

別れの儀式

小学1年生、初めての通学、いわゆる登校拒否をした
何が嫌だったのかなんて覚えていない
幼稚園の隣の学校に、同じ幼稚園児たちと通うだけなのに
おかしな話だ

柱にしがみついて嫌がるぼくを、両親もいい加減、面倒くさかったのだろう
引きはがして、バシバシしばきながら無理やり学校に連れて行った
泣きながら遅刻して親に連れられて行く学校
この方が、恥ずかしい経験だと思うのだが、翌日から学校に通うことが楽しくなってしまう
本当におかしな話だ

おそらく、ぼくは幼稚園を去るのが悲しかったんだろう、としか思えない
これは、いまだにぼくの行動様式を左右する

別れというもの

別れるときに、自分というものをそのままにしない…


人は別れのために、変わらない日常を生きている
posted by 三橋祐輔 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小さな町から

ぼくが生まれた町は川崎の浅田という町で4丁目までしかないこじんまりとした町だった
この生まれた自治体の大きさって、結構大きな意味合いがあるような気がする
初めて所属を意識する町が、隣町に巨大な自治体があって、常にオマケみたいな位置づけでいるってこと
隣には小田という大きな町があった
浅田小学校までは4クラスしかない小さな小学校だったのが、小田と合流する京町中学校になると10クラス以上になる
浅田の中で何かのトップでいるやつは、そこで世間というものを知るだろう
小田の中でのトップは、やっぱり大きな社会に出ても、トップで有り続ける意味合いを知り、リーダーシップというものは鍛えられるのではないだろうか

小学校時代の親友にアキラ君がいた
スポーツ万能だった
たぶん、勉強もそこそこできたんじゃないかな

彼は中学に上がると、一緒に予備校に通おうとぼくを誘った
なぜ予備校に行きたかったのか?なんて考えもしないくらいに、ぼくの毎日の生活はアキラ君と遊ぶことしかなかった

早朝マラソン、野球、サイクリング、釣り、etc
アキラ君に、さまざまな遊びを教えてもらい過ごしていた小学時代
中学入学早々に勉学を志した彼に何があったのか、さっぱりわからないまま
ぼくは同意し、親にお願いした

だいたいからして予備校というものがどういうものか
塾の延長なのかどうかも、よくわかっていない
たまにその激しさを噂に聞いたことがあるくらいで…

当時、都市伝説のように語られていた川崎予備校
志願兵のように、わざわざ飛び込んでいこうというのだから、きっと彼には何かあったんだろうな

なんの志もないまま、ぼくは受験戦争と呼ばれる時代に突入していった

つれづれに思い出してアキラ君とはもうウン十年も連絡取っていない
Googleストビューで、親父さんが経営していた会社を探してみたら、まったく変わらなく営業している姿が出てきた
跡継ぎで頑張っているんだな
流石、アキラ君だ
posted by 三橋祐輔 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月31日

二極

やはり肝心なことは、静と動、陰と陽がついになっているということである
静の頂点なくして動のダイナミズムは決して生まれない
OなくしてNがなかったように、BなくしてIはなかったのだ
考えてみてもBが無かったら、Iは、面白いレスラー足りえただろうか
OなくしてNはドラマチックに見えただろうか

逆もまた動のあやふやさが無かったら、人生も世の中もつまらないものになってしまい
OもBもその実績の輝きはくすんでいたことだろう

時代は、すべてが動で陽になってしまった
両極が無いものなど、つまらないことこの上ないのだ

ファンクス、ビューティペア、、、
ぼくがプロレスに熱中してしまった時代は、陰と陽、動と静の魅力に焦がされたなぁ
posted by 三橋祐輔 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月30日

川崎の日曜の夜はただ寂しかった

ぼくの家は川崎の産業道路の近く、中小企業の会社、工場、そこに勤める人たちの住宅、日本人だけじゃない人たちも多い街並み
そんな場所でラーメン屋さんを営んでいた
見上げると産業道路に蓋をするように首都高1号線が走っていて、その向こうに工場街から息をはくように出た煙突の煙がたなびいていた

静かな明け方には、意外に近い港から霧笛が聞こえてきたりする
日曜日の夜なんて、マァマァ都会だけれども、物音一つしない時もある
昼間の産業道路を走るダンプカーの爆音とのギャップが激しい

少しすると暴走族なんて流行りがあって夜中になると1時間ほど、バイクの隊列が途切れないこともあった
奴らもきっと、あの夜の静寂が嫌だったんだろうなと思う

子供の頃は舗装されていない道ばかりだったから、とにかく砂埃がひどかった

posted by 三橋祐輔 at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月29日

さらば『8時だヨ!全員集合』『太陽にほえろ』

ぼくは、プロレスファンになったのは、人より遅い
中学生になってからだ
なんでもかんでも、若干自分の中へブームが到達するのが遅い体質である
YouTubeどころか、ビデオデッキも登場していない時代
好きになってしまったとはいえ
『8時だヨ!全員集合』『太陽にほえろ』からお別れするのは、それこそ断腸の想いであったわけだ
『水戸黄門』は、見ることができなくなっても、苦痛にはならなかったから
国際プロレスアワーは、思う存分見ることができた
でも『水戸黄門』からは、そのずっと後に逆襲を受けることになるのだが…

最初に反応したのは、「タイガー・ジェット・シン」「デス・マッチ」という語感だ
この不思議な言葉が、ぼくの人生の大きな出会いだった
言葉の持つ力というものを大いに考えさせられる
日頃、たいして仲のいいわけでもない中学生が、暇な美術の授業の会話で出たこのフレーズ

この言葉の持つ力に、“明るくて正統的な手段”“出世に対する必要なもの”“普通に生きていくための知識”そうしたものは、一切感じられず、それとは魔反対の世界の入り口があった
それでいて、何か心落ち着くというか

金曜日の美術の時間に、それを感じ取っちゃったわけである

それでいて、しかし、その夜は、『太陽にほえろ』に夢中ですっかり忘れるわけである
プロレスにもっていかれるのには、もう少し時間がかかった
posted by 三橋祐輔 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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