2015年02月02日

別れの儀式

小学1年生、初めての通学、いわゆる登校拒否をした
何が嫌だったのかなんて覚えていない
幼稚園の隣の学校に、同じ幼稚園児たちと通うだけなのに
おかしな話だ

柱にしがみついて嫌がるぼくを、両親もいい加減、面倒くさかったのだろう
引きはがして、バシバシしばきながら無理やり学校に連れて行った
泣きながら遅刻して親に連れられて行く学校
この方が、恥ずかしい経験だと思うのだが、翌日から学校に通うことが楽しくなってしまう
本当におかしな話だ

おそらく、ぼくは幼稚園を去るのが悲しかったんだろう、としか思えない
これは、いまだにぼくの行動様式を左右する

別れというもの

別れるときに、自分というものをそのままにしない…


人は別れのために、変わらない日常を生きている
posted by 三橋祐輔 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小さな町から

ぼくが生まれた町は川崎の浅田という町で4丁目までしかないこじんまりとした町だった
この生まれた自治体の大きさって、結構大きな意味合いがあるような気がする
初めて所属を意識する町が、隣町に巨大な自治体があって、常にオマケみたいな位置づけでいるってこと
隣には小田という大きな町があった
浅田小学校までは4クラスしかない小さな小学校だったのが、小田と合流する京町中学校になると10クラス以上になる
浅田の中で何かのトップでいるやつは、そこで世間というものを知るだろう
小田の中でのトップは、やっぱり大きな社会に出ても、トップで有り続ける意味合いを知り、リーダーシップというものは鍛えられるのではないだろうか

小学校時代の親友にアキラ君がいた
スポーツ万能だった
たぶん、勉強もそこそこできたんじゃないかな

彼は中学に上がると、一緒に予備校に通おうとぼくを誘った
なぜ予備校に行きたかったのか?なんて考えもしないくらいに、ぼくの毎日の生活はアキラ君と遊ぶことしかなかった

早朝マラソン、野球、サイクリング、釣り、etc
アキラ君に、さまざまな遊びを教えてもらい過ごしていた小学時代
中学入学早々に勉学を志した彼に何があったのか、さっぱりわからないまま
ぼくは同意し、親にお願いした

だいたいからして予備校というものがどういうものか
塾の延長なのかどうかも、よくわかっていない
たまにその激しさを噂に聞いたことがあるくらいで…

当時、都市伝説のように語られていた川崎予備校
志願兵のように、わざわざ飛び込んでいこうというのだから、きっと彼には何かあったんだろうな

なんの志もないまま、ぼくは受験戦争と呼ばれる時代に突入していった

つれづれに思い出してアキラ君とはもうウン十年も連絡取っていない
Googleストビューで、親父さんが経営していた会社を探してみたら、まったく変わらなく営業している姿が出てきた
跡継ぎで頑張っているんだな
流石、アキラ君だ
posted by 三橋祐輔 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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