2015年03月01日

川崎大師地区が有名になった

まさに、あの頃のオレたちがいるような話で、なんとも言えない気分になる
川崎の中1殺害事件

背景の少年たちの友好関係
殺人とかまではいかなくても、無闇に小動物を殺すような子はいた

でも、だからと言ってそれが人間性のないコか?っていうと
そんなこともないんだよな
posted by 三橋祐輔 at 12:48| Comment(1) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月16日

マクガイヤーブラザース

ウチ風呂など普及していない昭和の時代、ぼくも毎日銭湯通いの小学生だった
脱衣所にあるポスターが、何か別世界を覗く三面鏡だったように思う

思うにあの手のポスターをしみじみと眺められるのって銭湯の脱衣所くらいしか他にない


網走番外地をはじめとするヤクザ映画とか春休み夏休みの怪獣映画のポスター
そしてプロレスのポスターの記憶が鮮明だ

網走番外地
フーテンの寅さん
東宝チャンピオンまつり
東映まんがまつり
新春黄金シリーズ、、、

川崎には新日本プロレスが新春黄金シリーズでマクガイヤーブラザースを目玉によく来ていた記憶がある
今なら当地のプロモーションの好みなんだね、とか余計なことを思うけど、

この頃はマクガイヤーブラザースが子供にはトップスターだ
ゴッチでもテーズでもなくマクガイヤーブラザースだ
あの半ズボンの内ももの巨大な膨らみはなんだろうと、そればかりが気になった

女子プロレスのポスターも頻繁にあったように思う
ミゼットプロレスってなんだろう
女性のプロレスってナニ?の疑問を通り越して余りある?マークが小人プロレスにはあった

マッハ文朱が登場した時にプロレス音痴の小学生でも、最近の女子プロレスは綺麗になったと思ったもんだった

なんか現代より興行自体が命がけな迫力がある
しみじみ、そんな風に思う

posted by 三橋祐輔 at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

弁天橋と大黒埠頭

ぼくの町は多摩川と鶴見川の河口に挟まれている京浜工業地帯と呼ばれる、臨海地帯にあった
自転車で20分も走れば海につく
海といってもタンカーが接岸する埠頭ばかりで、
砂浜なんて見当たらなかった

小学生のころ、朝4時ころに起きてアキラ君らと、よく釣りに行った

その時間でも釣具店はゴカイを売っている
お店側じゃない自宅の玄関側に回ってゴカイを買った

弁天橋という小さな埠頭
ダンプカーが砂利をおろして、そこにタンカーが接岸する
道路の上には引き込み線のレールがそちらこちらに走っている
工業地帯独特の風景
左右200メートル程度の岸壁のような場所で左右は工場や砂利置き場の立ち入り禁止の金網に囲まれている
釣りをする人なんて我々くらいしかいない
海を切り取った空間のような場所だった
思い出しても陽光のイメージはなく、とってもセピア色


レインボーブリッジができてからは様変わりしてしまったが大黒埠頭もよくいった
大黒埠頭は弁天橋と比べるととても広くて明るくて、釣り人も大勢いた

弁天橋で釣りなら、いつもの日曜日の午前中だったけど、
大黒埠頭に行くのは、ちょっとした遠出だった

そうやって、人間はハレの日を作って日々を消化していく生き物なんだと子ども心に思った
「終わらない日常」という言葉が出てきた時、ぼくはこの二つの埠頭がよく頭をよぎったものだった


それにしてもハゼ一匹釣れないことが多かったなぁ
Googleストビューでみたら、あのあたりも整備が進んでいて無機質な美しい光景が飛び込んできた
あまりにも違うんで泣ける
posted by 三橋祐輔 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月02日

別れの儀式

小学1年生、初めての通学、いわゆる登校拒否をした
何が嫌だったのかなんて覚えていない
幼稚園の隣の学校に、同じ幼稚園児たちと通うだけなのに
おかしな話だ

柱にしがみついて嫌がるぼくを、両親もいい加減、面倒くさかったのだろう
引きはがして、バシバシしばきながら無理やり学校に連れて行った
泣きながら遅刻して親に連れられて行く学校
この方が、恥ずかしい経験だと思うのだが、翌日から学校に通うことが楽しくなってしまう
本当におかしな話だ

おそらく、ぼくは幼稚園を去るのが悲しかったんだろう、としか思えない
これは、いまだにぼくの行動様式を左右する

別れというもの

別れるときに、自分というものをそのままにしない…


人は別れのために、変わらない日常を生きている
posted by 三橋祐輔 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小さな町から

ぼくが生まれた町は川崎の浅田という町で4丁目までしかないこじんまりとした町だった
この生まれた自治体の大きさって、結構大きな意味合いがあるような気がする
初めて所属を意識する町が、隣町に巨大な自治体があって、常にオマケみたいな位置づけでいるってこと
隣には小田という大きな町があった
浅田小学校までは4クラスしかない小さな小学校だったのが、小田と合流する京町中学校になると10クラス以上になる
浅田の中で何かのトップでいるやつは、そこで世間というものを知るだろう
小田の中でのトップは、やっぱり大きな社会に出ても、トップで有り続ける意味合いを知り、リーダーシップというものは鍛えられるのではないだろうか

小学校時代の親友にアキラ君がいた
スポーツ万能だった
たぶん、勉強もそこそこできたんじゃないかな

彼は中学に上がると、一緒に予備校に通おうとぼくを誘った
なぜ予備校に行きたかったのか?なんて考えもしないくらいに、ぼくの毎日の生活はアキラ君と遊ぶことしかなかった

早朝マラソン、野球、サイクリング、釣り、etc
アキラ君に、さまざまな遊びを教えてもらい過ごしていた小学時代
中学入学早々に勉学を志した彼に何があったのか、さっぱりわからないまま
ぼくは同意し、親にお願いした

だいたいからして予備校というものがどういうものか
塾の延長なのかどうかも、よくわかっていない
たまにその激しさを噂に聞いたことがあるくらいで…

当時、都市伝説のように語られていた川崎予備校
志願兵のように、わざわざ飛び込んでいこうというのだから、きっと彼には何かあったんだろうな

なんの志もないまま、ぼくは受験戦争と呼ばれる時代に突入していった

つれづれに思い出してアキラ君とはもうウン十年も連絡取っていない
Googleストビューで、親父さんが経営していた会社を探してみたら、まったく変わらなく営業している姿が出てきた
跡継ぎで頑張っているんだな
流石、アキラ君だ
posted by 三橋祐輔 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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