2018年05月18日

取捨選択〜シャンプーしながら目を瞑って考えること〜

色々な方、沢山のスターが亡くなった
母も見送ったばかり


何を考えて、何を取捨選択して、ここまで来たのか
流石に考え振り返ることも多い

大好きなものに、なぜどうしようもなく惹かれるのか、とか

ちょっと個人的に自分がわかったことがある
なぜ、プロレスが好きだったのか
なぜ、あんなにワクワクして追いかけていたのか
そして、なぜ今はこんなにまったく関心がなくなったのか

職業にしたり職業を解いたりは、自分の中ではさほど大きなウエイトを締めないけれども
ゴングでバイトしてたり、関係していた時間は15年ほどにもなる

オレはプロレスというよりも
全日本プロレス 対 新日本プロレスという抗争が、とてつもなく好きだったのではなかろうか

面と向かって対戦する競技、殴り合う業界、そういうところで剥き出しの抗争というのは
、、、実は世の中よくある

セとパも、言ってもオールスター、日本シリーズ、オープン戦
結構、実際の殴り合いはあるんだよな

ほかには見当たらないジャンルというか文化だったのではないか
実際に戦うことはしないのに、お互いを罵り合い否定し合うというのは


そこのリアルさ加減が、たまらなく好きだったように思う


そう思ったら、オレのすべての行動規範に説明が、ストンと、ついた

また、あんなワクワクする気持ち、味わいたかったな

探し物が、もう無くなったものだと自分で気づくと、切ないものだ
posted by 三橋祐輔 at 13:25| Comment(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月01日

川崎大師地区が有名になった

まさに、あの頃のオレたちがいるような話で、なんとも言えない気分になる
川崎の中1殺害事件

背景の少年たちの友好関係
殺人とかまではいかなくても、無闇に小動物を殺すような子はいた

でも、だからと言ってそれが人間性のないコか?っていうと
そんなこともないんだよな
posted by 三橋祐輔 at 12:48| Comment(1) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月16日

マクガイヤーブラザース

ウチ風呂など普及していない昭和の時代、ぼくも毎日銭湯通いの小学生だった
脱衣所にあるポスターが、何か別世界を覗く三面鏡だったように思う

思うにあの手のポスターをしみじみと眺められるのって銭湯の脱衣所くらいしか他にない


網走番外地をはじめとするヤクザ映画とか春休み夏休みの怪獣映画のポスター
そしてプロレスのポスターの記憶が鮮明だ

網走番外地
フーテンの寅さん
東宝チャンピオンまつり
東映まんがまつり
新春黄金シリーズ、、、

川崎には新日本プロレスが新春黄金シリーズでマクガイヤーブラザースを目玉によく来ていた記憶がある
今なら当地のプロモーションの好みなんだね、とか余計なことを思うけど、

この頃はマクガイヤーブラザースが子供にはトップスターだ
ゴッチでもテーズでもなくマクガイヤーブラザースだ
あの半ズボンの内ももの巨大な膨らみはなんだろうと、そればかりが気になった

女子プロレスのポスターも頻繁にあったように思う
ミゼットプロレスってなんだろう
女性のプロレスってナニ?の疑問を通り越して余りある?マークが小人プロレスにはあった

マッハ文朱が登場した時にプロレス音痴の小学生でも、最近の女子プロレスは綺麗になったと思ったもんだった

なんか現代より興行自体が命がけな迫力がある
しみじみ、そんな風に思う

posted by 三橋祐輔 at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

弁天橋と大黒埠頭

ぼくの町は多摩川と鶴見川の河口に挟まれている京浜工業地帯と呼ばれる、臨海地帯にあった
自転車で20分も走れば海につく
海といってもタンカーが接岸する埠頭ばかりで、
砂浜なんて見当たらなかった

小学生のころ、朝4時ころに起きてアキラ君らと、よく釣りに行った

その時間でも釣具店はゴカイを売っている
お店側じゃない自宅の玄関側に回ってゴカイを買った

弁天橋という小さな埠頭
ダンプカーが砂利をおろして、そこにタンカーが接岸する
道路の上には引き込み線のレールがそちらこちらに走っている
工業地帯独特の風景
左右200メートル程度の岸壁のような場所で左右は工場や砂利置き場の立ち入り禁止の金網に囲まれている
釣りをする人なんて我々くらいしかいない
海を切り取った空間のような場所だった
思い出しても陽光のイメージはなく、とってもセピア色


レインボーブリッジができてからは様変わりしてしまったが大黒埠頭もよくいった
大黒埠頭は弁天橋と比べるととても広くて明るくて、釣り人も大勢いた

弁天橋で釣りなら、いつもの日曜日の午前中だったけど、
大黒埠頭に行くのは、ちょっとした遠出だった

そうやって、人間はハレの日を作って日々を消化していく生き物なんだと子ども心に思った
「終わらない日常」という言葉が出てきた時、ぼくはこの二つの埠頭がよく頭をよぎったものだった


それにしてもハゼ一匹釣れないことが多かったなぁ
Googleストビューでみたら、あのあたりも整備が進んでいて無機質な美しい光景が飛び込んできた
あまりにも違うんで泣ける
posted by 三橋祐輔 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月02日

別れの儀式

小学1年生、初めての通学、いわゆる登校拒否をした
何が嫌だったのかなんて覚えていない
幼稚園の隣の学校に、同じ幼稚園児たちと通うだけなのに
おかしな話だ

柱にしがみついて嫌がるぼくを、両親もいい加減、面倒くさかったのだろう
引きはがして、バシバシしばきながら無理やり学校に連れて行った
泣きながら遅刻して親に連れられて行く学校
この方が、恥ずかしい経験だと思うのだが、翌日から学校に通うことが楽しくなってしまう
本当におかしな話だ

おそらく、ぼくは幼稚園を去るのが悲しかったんだろう、としか思えない
これは、いまだにぼくの行動様式を左右する

別れというもの

別れるときに、自分というものをそのままにしない…


人は別れのために、変わらない日常を生きている
posted by 三橋祐輔 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする